東日本大震災のボランティアの想い出 2011年

今からちょうど9年前2011年3月11日の15:00前に、東日本大震災が発生しました。もう9年が経過しました。震災に遭われたご本人・ご遺族の方は、未だに割り切れない感情をお持ちの方も多いと思います。。。

当時、小生は札幌にいました。ちょうど金曜日だったので、札幌市東区にあるメンタルクリニックに週1回の非常勤医師として、勤務・診察している真っ最中に起きました。札幌でも震度4でしたが、かなりの揺れで、持続時間も長かった記憶が残っております。

焦る気持ちを抑えながら、何とか診察を続けておりましたが、その数十分後にTV町全体津波飲み込まれる映像を視て、全身に衝撃を受けました。逃げ惑う人々や流されていく自動車など、今でも鮮明に記憶に残っております。

その後、札幌市医師会からの要請があり、当時の勤務していた病院の理事長から正式に業務命令として、念願の被災地へ最大限の貢献できる許可をいただきました。誰に何と言われようとも「目の前の患者さんを救う」とい理念は、あれから9年以上経っても全くて変わっておりません。

当時、業務調整の上、さっそく早朝1番の飛行機で、新千歳空港から花巻空港に飛びました。レンタカーを借りて、陸地ルートで目標地に到達しました。至る所で、道路が使用不能になっており、カーナビの予測時間の倍以上に時間を要した記憶があります^^;;何とか現地に到着すると震災の爪痕がそのまま残っておりました。宮古市も本当に酷い状況でしたが、特に山田町は、町の中心部がほとんど消滅しておりました。JR駅駅前の商業施設も、漁港民家も、ほとんど全て跡形も無くなっておりました。

岩手県の宮古市と山田町を中心に精神科・心療内科医として、どんな些細な「こころ」のお悩み・ご相談でも良いので精神科・心療内科領域の診察同行してくれた臨床心理士(現、公認心理師)によるカウンセリングをお受けするために避難先の公民館での講演や当時、出来始めた仮設住宅への訪問も毎日いたしました。中には「放っておいて下さい。誰とも会いたくないです」「もう疲れて、休みたいので折角ですが、お帰り下さい」と言われて、精神科・心療内科医・心理師として無気力感で一杯になり、失意のままトボトボと重い足を引きずるように帰路についた無念な記憶も数多くあります。

それでも、中には「わざわざ、北海道から支援に来てくれてありがとうございます。長男夫婦 次男夫婦も行方不明ですが、長女夫婦が関東方面にいて、心配してくれてしばらく滞在してくれてます。孫も4人から1人なってしまったけど、1人でも生きてる孫がいるから死ねないです。。。」と涙を流しながら話していただけた方もおられました。正直に申し上げると精神科医として訓練を受けた「陽性感情」「陰性感情」のコントロールなど関係なく、胸が張り裂けそうな思いになり、小生自身も涙を堪えられませんでした。

その時に長期間、苦楽を共にした同志で非常に真面目で小生を助けてくれた相棒が、2019年10月から「札幌ことにメンタルクリニック」に就任した副事務長兼心理師を担ってくれている春名氏です(*^^*)

今年は、非常に残念ながら新型コロナの影響で、東日本大震災の大規模な追悼式典は中止になりましたが、来年の10周年には小生と春名副事務長2人10年ぶりに宮古市山田町を中心に被災地を訪れたいと心から願っております。

P.S そのような経緯(いきさつ)がありましたので、札幌ことにメンタルクリニックは、今後も国難に際しても、決して逃げずに真正面から全面的に協力して精神医療に取り組んでいきたいと思います^^

最後に、9年前の大震災で、お亡くなられた方やご遺族の方々に、心より深く深くご哀悼の念を申し上げます。

札幌 西区 琴似

心療内科 精神科

札幌ことにメンタルクリニック

院長 阿部 多樹夫